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今年もよろしくお願いいたします  ~東海道をゆく⑬~

[2026.01.01]

2025年2月 薩埵峠にて

 

みなさま、今年もよろしくお願いいたします。

2026年の診療は1月5日(月)からとなります。お間違えの無いようにご来院ください。

 

よくみると2026な馬

 

 

 

11月某日、半年ぶりの東海道を歩きました。スタートは前回の続き、五十三次の真ん中、二十七番目の宿場町、袋井からのスタートです。

8時30分 袋井駅

 

雲もほとんどない良い天気で、11月下旬でしたが歩いているうちに汗をかき、長袖一枚で歩けるくらいとても心地よい天候でした。

朝も早かったので駅前のコンビニで腹ごしらえ。一見普通のメンチカツですが、一応「静岡の味を楽しめるフェア」の一品です。

 

目当てのシーチキン&コーンまんは準備中でした

 

 

10分ほど歩くと民家の玄関わきに西本陣跡の杭。その先にはど真ん中が売りの袋井西小学校。

東海道どまん中西小学校

 

この少し先にある許禰神社(こねじんじゃ)の境内には徳川家康公が腰掛けたとされる石があります


左端にうつっているのが腰掛け石

 

このあたりの地名、木原は武田信玄が徳川家康を破った三方原の戦いの前哨戦の地として有名だそうです。

 

松並木の脇に続く稲穂の垂れている田んぼを通り過ぎると、最初の難関である江戸の古道

なかなかの急坂でした。足元はどんぐりで一杯。どんぐりが木から落ちる音もあちこちから聞こえ、トトロが出そうな雰囲気でした。

 

この先、地図を予習する中で行人坂という記載があり、目黒の様な急な行人坂をイメージしていたのですが、

 

気づいたらその上を歩いていました。そして9時47分、28番目の宿場町、見付宿へ到着。

 

 

当時は防犯のために宿場町の入り口や、町と町の間などに木戸が設置されていました。通常は開いていますが、夜間や非常時には扉を閉じて人や物の通行を制限していたそうです。

 


10時 木戸跡

 

このあたりは磐田市。そう、ジュビロ磐田のホームタウンです。駅に向かうまっすぐな道はジュビロードと言われています。


町のあちこちに旗

 

10時6分。問屋場跡着。どこの宿場町でも問屋場跡が銀行になっているところが多い気がします。ChatGPTに聞くと「問屋場は宿場の中心で人と金が集まる場所だったため、近代化で銀行がその立地を引き継いだという歴史的流れが理由です」とのことでした。

 

 

少し歩くと旧見付学校現存する日本最古の洋風木造学校で、明治8年(1875年)に造られました。当初は4階建てでしたが、明治16年に5階建てとなりました。

 

ジュビロードをそのまま南に進むと、ついに磐田駅前に到着です。


10時37分 磐田駅前のジュビロ像

 

出発して約3時間。見付宿のお菓子屋さんできんつばを購入する予定がお店が残念ながら臨時休業。かと思いきや、少し歩くと同じ店の直営店を発見。

悩んだ結果、きんつばではなくパンプキンシューへ方向転換し購入。


悩むの5分、食べるの1分

 

 

10時44分。天竜川を渡ります。左は車の通る天竜川橋。歩行者と自転車はこの新天竜川橋を渡ります。

天気が良ければ橋から富士山が望めるらしいのですが、雲が多くて見ることはできませんでした。その代わり

 

富士山みたいな雲を拝むことが出来ました。ご利益ありそう。

 

 

川の水量は少ないものの、比較的水は澄んでおり、魚も多いのか鳥があちこちで舞っていました。

そして橋を渡り終えるとそこは浜松市でした。

11時55分 うなぎの町へ

 

シュークリームで腹を満たしましたが昼を過ぎてさすがにおなかが空いてきます。天竜川駅近くを歩くのですが、飲食店が少ない。東京で食べられるチェーン店に入るのは悔しいし、ラーメンというのも少し違う。逡巡しながら歩を進めると地元民で賑わっている店を発見。12時半、ピットイン。

 


餃子12個 660円

 


お好み焼き大 500円

こんなに安くていいんですかっていうくらいのボリュームで、しかも靴を脱いでお座敷に上がることもでき、足を休めることが出来ました。これでビールを飲めたら最高、でしたが戦いはまだ続くため我慢。

 

腹ごしらえしてしばらく進むと徐々に浜松駅近くの繁華街が近づいてきます。14時を過ぎたあたりで浜松城の手前にある連尺の交差点を南に曲がれば高札場跡、佐藤本陣跡、杉浦本陣跡、など本陣跡のオンパレード。ですが表札しか残っておらず、写真は割愛します。

 

 

そのかわりに家康くんを載せておきます。時刻は14時20分。

 

10分ほど歩くと通りに交差する堀留ポッポ道。大正7年に作られた国産初期の軽便機関車。

 

少し歩くと馬頭観音、高札場跡、二つ御堂がならんでいます。奥州平泉の当主、藤原秀衡が京で病に倒れ、駆け付けようとした側室がこの地で死報を受け、悲しみの中、北側の御堂を建てて亡くなりました。それは誤報で、病が治り奥州への帰路の途中でその話を聞いた秀衡が南側の御堂を建てたことから二つ御堂と言うそうです。

 

14時53分 馬頭観音、高札場跡、二つ御堂の数え役満

 

出発しておよそ6時間。足はくたびれ、写真を撮るようなめぼしい被写体がないまま、無言で歩きます。さらに歩くこと1時間、15時20分、本日のゴール塚原駅の南側、麦飯長者跡へ到着。

最後も看板

 

疲れ果てていたため塚原駅の写真を撮り忘れましたが、駅の家康くんはおさめました。

 

出発から7時間、約40000歩、25㎞ほどの行程でした。

浜松駅へ戻り、地元のソウルフードである浜松餃子と遠州焼きを頂きました。最高でした!

 

浜松餃子の定義、知ってますか?石坂公介

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