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7月はカレンダー通りの診療となります  ~東海道をゆく⑯~

[2026.07.01]

4年に一度のサッカーの祭典、ワールドカップに興奮する毎日の方も少なくないのではないでしょうか。日本代表の結果に肩を落とされた方もいらっしゃるかもしれません。それでもドーハの悲劇をリアルタイムで見ていた(正確には布団の中でラジオで聴いていた)私にとっては、時代の変化を感じさせる、見ごたえのある試合の連続でしたにわかですが)。

その熱戦の余韻が残る中、7月8月は例年より暑くなる予報が出ています。水分摂取や室温調整などを含めた体調管理にはくれぐれもご注意ください。

八咫烏ではなくハシビロコウ

 

 

 

いつも通りお時間のある方だけお付き合いください。

2月某日。2日続けての東海道攻めの記録になります。

 

豊橋駅で乗り換える際、鉄分多めの人たちが車両の外も内も写真を撮っていました。よく確認するとたまたま乗った車両が「213系5000番台」という、1989年に登場し、2026年3月初旬に役目を終える車両とのこと。私も負けずにあちこち撮影しました。

 

 

8時20分 小坂井駅

 

駅を出発し少し歩くと伊奈の一里塚跡。日本橋から75里目です。

 

8時45分 伊那の一里塚跡

 

そこから10分ほど歩くと歌碑。冷泉家中興の祖と言われる為村の歌。徳川家重の九代将軍継承祝賀に朝廷の使者として下向する際に詠んだ歌だそうです。

 

 

 

このあたりは名鉄名古屋本線に沿って歩きます。

9時半 名鉄名古屋本線

 

この先で線路を渡って南側へ。

しばらく歩くと御油の一里塚。江戸から76里目、この先は御油宿。35番目の宿場町です。

 

10時 御油一里塚

 

10分ほど歩くと松並木が目の前に現れます。慶長9年(1604)に植樹された参河黒松600本のうち、350本が残っているそうです。

 

天然記念物御油ノ松並木

 

実はこの次の宿場町、赤坂宿との距離は1.5㎞ほど。一気に先を進みます。すぐに36番目の宿場町、赤坂宿の見附跡に到着。

 

10時20分 東見附跡

 

先を進むと大橋屋(旧旅籠鯉屋)。市の指定文化財であり、2015年まで旅館として営業をしていたとのこと。スルーするつもりでしたが、ボランティアガイドの方に声を掛けられ、せっかくだからといろいろと面白い話を伺いました。

 

 

建物の裏に回ると、広重の書いた構図と同じ景色が。ソテツは当時のものではないそうですが。左にあるすだれの奥には絵と同じ階段がありました。

御油と赤坂は距離が近いから客の取り合いだったとか、徳川慶喜が将軍になる数年前、赤坂宿に泊まって遊んで行ったとか、その当時から続く松平家の人がすぐ近くに住んでいるとか、面白い話を20分ほど伺いました。

 

11時過ぎ、長沢城跡。三河の要地に築かれ、戦略上重要な地だったそうです。

 

 

 

このまま1号線沿いをひたすら歩きます。ガイドマップにのっているポイントも運送会社など会社名のみ。空腹も意識させられるつらい時間帯。

 

11時40分岡崎市

 

久しぶりの写真スポット。本宿碑。ややこしいですが宿場町ではなく岡崎市本宿町、だそうです。

 

出発して4時間。そろそろおなかが空いてきます。駅の近くではあるのですがお店がそもそも少ない上に、休日で休みの店舗ばかり。住宅街を歩き、もう無理だと思った瞬間。そこにオアシスがありました。

 

12時半 待望のランチ

 

地元のお年寄りが集っておしゃべりしながらコーヒーや食事を楽しむ、とてもおしゃれなカフェにて休息。デザートまでつけてしまいました。控えめに言って最高なお店でした。

 

おなかを満たししばらく歩くと御開運御身隠山碑と山中八幡宮境内の洞窟に徳川家康が隠れ難を逃れたという伝承のある神社です。

 

13時30分 御開運御身隠山碑

 

そして35番目の宿場町、藤川宿に到着。

 

13時50分 藤川宿

 

 

 

14時 藤川宿 京まであと48里

 

踏切の向こう側には藤川の松並木。現在は90本の三河黒松を残しているそうです。

 

 

そして14時36分。本日のゴール美合駅約6時間、32000歩、約23㎞の旅でした。体力的にはまだ歩けたのですが、ここから少しずつ道と線路が離れていくので、次回のことを考えてここで終了にしました。

暑くなる前にまた歩きに歩きたいです。

東海道ハイ状態石坂公介

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